そそぐのイシザキです。
夏休み特別企画、読書感想文の後編です。
米国人作家フレッド・ミニック著の「ウイスキー・ウーマン」を読んで。
前回は、ウイスキーのテイスティングイベントを企画し、アメリカのウイスキー愛好家を増やしたアミ―のエピソードをピックアップしました。
ラフロイグの才女
今回は、ラフロイグ蒸留所を守り、成長させ、アイラ島のシングルモルトを世界に知らしめた女性のエピソードです。
著書での章のタイトルは「ラフロイグの才女」です。調べたら原題は「The Lady of Laphroaig」でしたが、読んだ後では「才女」とした翻訳者のセンスに賛同します。
女性の名前はElizabeth Leitch "Bessie" Williamson (エリザベス・リーチ・ベッシー・ウイリアムソン ※以下:ベッシー)
働き始めたきっかけ
ベッシーはスコットランドのグラスゴー大学を卒業後、バカンスでアイラ島を訪れます。その際にラフロイグ蒸留所の速記タイピスト募集の求人を見かけて、長期バカンスを兼ねて働こうと応募します。
当時のオーナーはベッシーの働きぶりを見初めて正社員として採用し、徐々に重要な仕事を任せて行きます。
1938年にオーナーが病に倒れると、アメリカの事業、そしてラフロイグ蒸留所の経営をベッシーに託します。そして程なく、世界大戦が始まります。
ラフロイグを守り抜く
戦時下、ラフロイグ蒸留所に勤務する男性も兵士に召集され、蒸留所も軍用で差し押さえる話が出ますが、ベッシーは見事な交渉で乗り切ります。突っぱねるのではなく、ウイスキーの生産・販売を続けることで可能になる納税額を引き合いに出し、貯蔵ウイスキーの知識に長けた男性の兵役免除と蒸留施設の存続を勝ち取ります。
一方で、兵士をモルト貯蔵倉庫に宿泊させ、更には拡張した貯蔵倉庫で弾薬の集積地の役割を担いました。(拡張工事費は軍が払った)
攻撃を受ければアイラ島の南部が吹き飛ぶほどの弾薬を管理するストレスは量り知れませんが、可能な限り軍に協力することで、ラフロイグ蒸留所の稼働を途絶えさせることなく守ったのはすごいことです。
アイラ島のシングルモルトを宣伝
戦後の1960年代、ベッシーはスコッチ・ウイスキー協会の宣伝担当を兼ねます。
自社のラフロイグだけでなく、アイラ・ウイスキー全体をブランド化して行きました。
交渉術だけでなく、セールス能力も秀でていたようで、当時の記事には「ベッシーの話を聞くと『早く退社時間にならないか』と思う程巧みな宣伝だ」と記されています。
また、ベッシーが発した「その需要に応えきれない程です(≒だから売り切れる前に買った方がいいですよ)」というフレーズは、その後もウイスキーの市場戦略でキーになったそうです。きゃー、言ってみたい。
ベッシーの活動により、ブレンデッド・ウイスキー用に出荷されていたアイラ・ウイスキーが、シングルモルトとしても評価されて行きます。
私生活では、1961年にカナダ人の美形バリトン歌手(・・と本に書いてある)と結婚しましたが、著書内ではちょいちょい悪口が出てきて、思わず「ほうほう、どれ程のイケメンでしょうかね」と検索しました。※画像は探せず。
ベッシーは1972年に経営を退きますが、1982年に亡くなるまで奉仕活動を続けました。もっと言えば、彼女の遺言により遺産も失業者支援などに充てられたそう。
信念のある経営者であり、有能なマーケッターであり、博愛に満ちた人。まさに日本語版のタイトル「ラフロイグの才女」にふさわしい人物です。そんな才女の私生活ネタを検索してごめんなさい。下世話な自分が恥ずかしい。
そそぐのラフロイグ
ラフロイグは、そそぐのバックバーの左上。オーケストラのコンサートマスターのポジションにいます。
意識して位置を決めた訳ではありませんが、アイラ島のシングルモルトをブランド化し、牽引したラフロイグにふさわしい場所でした。
ベッシーが情熱を持って守り抜き、世界に名を知らしめたラフロイグ。
ぜひ飲みに来てください。
心を込めてそそぎます。
あ!そそぐのカウンターはコの字で11席。決して多くはありません。
憧れのキャッチコピー「その需要に応えきれない程です」にはまだまだ遠いですが、稀に「応えきれない」日がありますので、お席の空き状況はお電話やLINEトークでお気軽にお問い合わせください。
電話:092-406-5508
www.sosogu.jp